沿革
協会設立
私達の郷土沖縄は昭和20年の去る太平洋戦争で灰塵に帰したことは忘れがたい出来事であります。戦争で廃墟と化した郷土復興のために、いち早くスポーツ関係者が立ち上がり戦後間もない昭和23年には沖縄県体育協会が発足して、全島体育大会を開催し、虚脱状態に陥っていた県民に大きな勇気と希望を与えました。郷土の卓球愛好者は、沖縄体育協会のご協力の元に、昭和28年今日の沖縄県卓球協会を設立した。協会の設立には、戦前の中国山東省卓球界で活躍された町田宗永氏(3代目会長)が帰郷、それに戦前の沖縄県の選手権保持者だった森根武信氏(初代副会長)の両先人が、協会設立の発起人となり、初代会長に琉球石油株式会社創業者の稲嶺一郎氏が就任をされ、沖縄県卓球協会の誕生を見ることが出来ました。
イギリス生れの卓球が日本へ紹介されたのは、明治35年(1902)頃のことであります。沖縄県での最初の卓球は、大正の初期に沖縄県立師範学校と沖縄県立第一高等女学校で初めてお目見えしました。当時は袴、振袖姿の女学生がピンポンを楽しんだ。その後、昭和9年(1934)には、沖縄県の女子代表選手が明治神宮大会へ参加するようになるまで普及しました。
卓球協会設立後は町田、森根のかつての名選手が本格的に近代卓球の指導に乗り出しました。昭和29年(1954)、北海道国体への初参加を皮切りに、本土の卓球界との交流が活発になり、更に昭和37年(1962)、九州卓球連盟へ加盟することによって、全九州卓球大会が誘致され、初の九州大会開催を契機にして、県卓球界も急速なレベルアップを遂げました。
シンボルマークについて
沖縄県卓球協会のシンボルマークはボール・ラケット・ネットコートを組み合わせて図案化したものです。中央の矩形は(コート)上のボールをネット(両側の2本の白線)を境にラケットで打ち合う競技を表しています。全体の円形は一球にかける闘志・円満な人格・組織の円滑な運営と円熟を象徴しています。創立30周年を記念して制定されました。
(昭和59年3月デザイン:喜友名朝紀氏)
歴代会長
初代(昭和28年~昭和30年) | 稲 嶺 一 郎 |
2代(昭和31年~昭和34年) | 具志堅 得 助 |
3代(昭和35年~昭和61年) | 町 田 宗 永 |
4代(昭和62年~平成7年) | 城 間 利 雄 |
5代(平成8年~平成9年) | 豊 平 良 一 |
6代(平成10年~平成15年) | 福 治 友 剛 |
7代(平成16年~平成19年) | 伊 佐 眞 市 |
8代(平成19年~平成28年) | 平 安 常 進 |
9代(平成30年~) | 具志堅 侃 |
歴代理事長
初代(昭和28年~昭和30年) | 宮 城 和 市 |
2代(昭和31年~昭和43年) | 城 間 利 雄 |
3代(昭和44年~昭和45年) | 福 治 友 剛 |
4代(昭和46年~昭和46年) | 辺土名 朝 信 |
5代(昭和47年~昭和52年) | 高 山 朝 光 |
6代(昭和53年~昭和58年) | 伊 佐 眞 市 |
7代(昭和59年~平成元年) | 高 山 朝 光 |
8代(平成2年~平成2年) | 河 上 親 彦 |
9代(平成3年~平成13年) | 平 安 常 進 |
10 代(平成14年~平成15年) | 知 念 稔 |
11 代(平成16年~平成17年) | 外 間 政 房 |
12 代(平成18年~平成19年) | 砂 川 忠 明 |
13 代(平成20年~平成29年) | 当 真 嗣 秀 |
14 代(平成30年~) | 豊 里 勝 |
組織
平成30年度沖縄県卓球協会役員名簿 | |
平成29年度沖縄県卓球協会役員名簿 | |
段位認定者(平成28年現在) |